HOME>>コラム・書評・インタビュー>>書評一覧>>2001/06/28 <メルマガ21>9号掲載分


出版洪水に釣り糸を垂れる
Book-Review


Maya-Kimie Hirooka
Maya Art Collection


 『エルヴィス雑学ノート』
 キング・オブ・ロックンロールを読み解く

 フェリス女学院大学教授 前田絢子著
 ダイヤモンド社刊 333頁 価格:1800円
 発行:1996年8月2日
 amazon.co.jp紹介ページ



実を言うと、前回のメルマガ・コラムを書き終えた直後から、再び私は「読書モード」へと引き戻されてしまいました。という訳で、つい数日前まで、しっかりと読書にハマッテおりました。90年代半ば以降に出版された、エルヴィス関連の本をまとめて読み始めたところです。今回はその中から、読み応えのある一冊を選びました。

よくぞこんな本が出てくれました。しかも、翻訳ものではなくて、日本のエルヴィス研究家によって執筆されている! その上、内容は至れり尽くせり。情報は、とてもしっかりしていて、しかも分りやすい。

今やエルヴィスは、個人の好みや趣味の領域を超えたところで、広く語られるようになってきている……そのあたりも含めて書かれた好著がこの『エルヴィス雑学ノート』です。

エルヴィス・プレスリーと「空手の3年効き?」
エルヴィス・プレスリー効果には、あとでゆっくり効いてくる「空手の3年効き」みたいなところがある。
@ ティーンエージャーのころ初めて「ハートブレイク・ホテル」を聴いて
A それから、次に彼の名前を聞いたのは、1977年8月の「エルヴィス・プレスリー死亡」というTVニュース
B それからまた時は流れて、1985年のエルヴィス生誕50周年をきっかけに、あらためて「エルヴィス再発見!」
と、まあ……ざっとこんな感じの経緯を辿ってきた私のような類いには、この種のガイドブックは欠かせない必需品です。まさに、本書の帯に印刷されているコピーのとおり……「こんなエルヴィス本なかった!」なのです。

著者の前田絢子教授は、アメリカ文学・アメリカ文化専攻で、そしてエルヴィス研究家。そのため、エルヴィスが残した業績や、エルヴィスの生涯に関するアプローチを試みる際、その時代背景としての20世紀アメリカ史、多民族国家アメリカの大衆文化、建国の成り立ちなどもからめながら丁寧に執筆されている。そこが、私には非常に嬉しい。エルヴィス・プレスリーを知ろうとする時、この要素を抜きには出来ないからです。

本書によれば、エルヴィスに対する評価は、すでに「20世紀最大のエンタテイナー」という枠を超えているという。エルヴィス没後の、いわゆる「エルヴィス現象」と呼ばれているものの社会的な意味が問われるようになり、ついにその波はアカデミアの世界にも押し寄せ、その門戸を開かせてしまったようです。

1995年には、「第1回エルヴィス・プレスリー国際会議」が、ウィリアム・フォークナー研究の拠点として知られるミシシッピ大学で開催されたが、大学側はこの国際会議を恒例の大学行事として実施することを決定したという。ちなみに、著者の前田絢子教授は1996年の「エルヴィス国際会議」に招待され、研究を発表している。

エルヴィス登場は、20世紀の奇跡のひとつである
これは、amazon.comのエルヴィス欄で見つけた言葉。そうか、20世紀の奇跡のひとつ!あれは奇跡だったのか。と、感慨をあらたにしておりましたら、それからしばらくして、この言葉は次に述べる本の紹介文だったらしいということが分ってきました。

1994年秋、音楽評論家・音楽史研究家のピーター・グラルニックよる『Last Train to Memphis』がアメリカで出版されたが、著者の前田教授はこの本を「エルヴィスについての、最初の信頼できる総合的な伝記」と評価している。日本では、3年遅れて1997年8月『エルヴィス登場!!』というタイトルで出版された。

以前、日本では社会的地位のある人が「エルヴィスのファンである」と、自ら公言することは稀だったらしい。彼らのことを「隠れファン」と言ったらしい。私は、隠れ切支丹でもあるまいに……と思うのだが、このあたりが、日本におけるエルヴィスの評価を物語っていると言えなくもない。エルヴィス・プレスリー・ファン・クラブ会長の赤沢忠之氏は、「日本はエルヴィス後進国」と嘆いているらしいが、エルヴィスが日本で評価されにくい理由についても、本書は分析を試みている。

1971年、『僕はプレスリーが大好き』という本を出したのは作家の片岡義男sanだった。それから30年、時代背景は確実に変わりつつある。今という時期は、もしかしたら……「2000年に一度だけ回転する、回り舞台」がまわっている時なのかもしれない。1万年サイクルの……「1万年に1回だけ回る、回り舞台」もまた、たまたま、いま回っているということだって、あるかも知れない。

もし、そんなものが、ほんとに回っているとしたら、足元の舞台が動いて、目に入る風景だって一変するはず。そうなると、もう誰の目にも「変化が目に見える」ようになる。こういう時期を、一般に「変化期」と呼ぶが、エルヴィス・プレスリーという人は、その変化の波の第一波、その震源に向けて揺さぶりをかける……そういう時期に……そういう役割効果をもって……たまたま……あるいは……必然のもとに、生まれ合わせてきた人なのかも知れない。

『ホノルル・アドバタイザー』(1997/04/24)より

アメリカを知ろうと思ったら「エルヴィス」と「マリリン」
これは90年代半ばころ、何回かのハワイ滞在中、しばしば私が口にしていたセリフのひとつ。ま、考えてみれば、ヘンな光景です。片言に近い英語で、日本人の私が当のアメリカ人に向かって、「アメリカを本当に知りたかったら、エルヴィスとマリリンを知ることが大切だと思うよ!」と力説するわけですから。

自分の考えていることを、相手にアピールするのって結構たいへん。でも、そうこうしていたら、1997年の5月ごろ……ホノルル・アカデミー・オブ・アーツが「エルヴィス」と「マリリン」のイコンをディスプレイするという。その搬入風景が、地元紙『ホノルル・アドバタイザー』の日曜版に写真入りで紹介された。そしたら、「これ、まやの言ってたことだよね」と、あっさり納得した感じになった。

ホノルル市民にしてみれば、観光業に生きるハワイとしては、映画『ブルー・ハワイ』によってハワイが世界のみんなに知られるようになったことは、十分承知の上で、すんなり受け入れてはいても、なんで「イコン」なの?……というところかな! ポップでキッチュな展示品"Elvis+Marilyn"を、アート扱いしていいかな?……と思案した人がいたかも知れない。

アメリカそのものを、正直に素直に映した2つの「鏡」
結論を言ってしまおう。エルヴィスもマリリンもある意味で、「アメリカ人という名の大衆」の夢と希望、光と影を自らの上に投影し、それを生きて、そして死んで行ったのではないか? 大衆は自らの中にある抑圧されたものや欲望・夢の諸々をスターの上に投影し、スターが大衆の投影を現実に生きたとき、無自覚のうちに……あるときは賞賛し、あるときは非難する……ということが起きやすい。

大衆は、言いたいことを言って、気分を変えたり、サッパリした気分になったりする。そして、これらも含めてエンタテイメントだと……思ったりしがち。ところが、ある意味では時代そのものを自らの上に投影し、それを自らの人生の上に重ねて生きる「スター」という立場に立たされた側は、果たして、ほんとのところどうだったのだろう?

アメリカ人の集合的無意識を映す「鏡」、ひいてはアメリカそのものを「自らに投影」しつつ生きたのが、トップに上りつめた彼らエンタテイナーたちだったと、仮定してみよう。彼らの人生で起きた数々の出来事は、彼らをスターたらしめた大衆の一人一人の意識と無関係ではないはず……。

だとすれば、彼らをもっと深く知ろうと試みる時、「アメリカそのもの」がみえてくるに違いない。その中に生まれ、育ち、生きている「自分」の姿も見えてくる。ひとびとは、スターという「鏡」に自らを投影し、その中に己をみている。そう、私が言いたかったのは、両者は決して無関係ではないのだということだったのです。

ヘルマン・ヘッセとエルヴィス・プレスリー
ヘッセと一口にいっても、前半の作品『車輪の下』くらいで終っている読者と、後半の『デミアン』あたりまで読み進んだ読者とでは、ヘッセ観はまるで違ってきます。

これと同じことが、エルヴィスの場合にも言えます。ハリウッドを後にして、彼の本領:音楽の世界へと奇跡のカムバックを果たしたのは、エルヴィス33歳の時でしたが、これ以降を、彼の人生の後半と捉えることが出来ます。

「エルヴィス・オン・ステージ」と「エルヴィス・オン・ツアー」。これら2本のドキュメント・フィルムが制作されたのはそれぞれ1970年と1972年。エルヴィス35歳と37歳の音楽活動を収録したドキュメンタリーの傑作。42歳でこの世を去ったことを考えれば、これはエルヴィス晩年の「ピーク・パフォーマンス」を実写した、記念碑的作品と言えます。

20世紀のテクノロジーとエルヴィス
この優れたドキュメンタリー映像のお陰で、私はエルヴィスを「再発見」することが出来たのです。このときほど、映像の技術と音を再現するテクノロジーの存在に感謝したことはありません。もし、この二つのテクノロジーが、まだこの地上に現れていなかったとしたら、私は終生……「エルヴィス」という類い稀な、前代未聞の存在を知ることも無く、ましてや……エルヴィスが死んでしまった後になって、しかもアメリカから遠く離れた日本で、彼のコンサートの模様をリアルに知るということも不可能だったはず。

また一方、エルヴィスほどこの二つのテクノロジーの恩恵にいち早く浴した人も珍しい。考えてもみてください。もし、33歳までのジーザスの生涯を記録したドキュメント映像があったとしたら……。それを2000年後の今、見ることができるとしたら……。あのギリシャの地で、ソクラテスは何をどのように話していたのか……。もし、それを見ることができたら……。これは、凄いことです。時空を超えてメッセージを送り届ける……これらのテクノロジーは今や実用化され、私たちは今その恩恵に浴している。それが、今私たちが生きている「21世紀:宝瓶宮時代」なのです。

とにかく、関連資料の乏しかった当時、繰り返し見て、繰り返し聴く、という方法を通じて、「エルヴィスって、いったい何?」と、私は問い続けた。情報がない分、徹底して音楽を聴くことに集中し、自分なりの謎解きがスタートしてしまったというわけです。

この面からも、この『エルヴィス雑学ノート』は、私にとって実に貴重な一冊です。湯川れい子sanに続いて、エルヴィス研究者が日本に現れたことはほんとに喜ばしい。

20世紀が生んだエニグマ……「ELVIS」という名の謎解き
1960年代に、「エルヴィスこそ、今世紀最大の文化的影響力」と断言したのは、アメリカの代表的な作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインだというお話ですが、本格的なエルヴィス研究は、今その端緒についたばかり……。

さて、「外交の極意は、相手よりも相手のことを良く知ること」に尽きると聞きますが……。「エルヴィス」という愛すべき存在にアプローチすることを通じて、彼の生まれた国アメリカを少しでも深く理解できるようになったとしたら……それは、それだけで、十分にすばらしい。

この世のものごとは、「9」のサイクルで動いていると言われている。1968年12月3日、NBCテレビの特別番組『エルヴィス』は72%という驚異的視聴率を上げ、再び彼の本領である音楽界に、文字通り不死鳥のように蘇った……33歳だった。それから……ELVISがほんとうに旅立って逝ってしまったのは、その9年後……1977年の夏だった。


<メルマガ21>第9号より(2001/06/28)
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