HOME>>コラム・書評・インタビュー>>書評一覧>>2000/10/27 通信『スタイル21』8号掲載分


出版洪水に釣り糸を垂れる
Book-Review


Maya-Kimie Hirooka
Maya Art Collection


 『あえて英語公用語論』

 船橋洋一著 文春新書
 243頁  \710
 第1刷 2000年8月20日
 amazon.co.jp紹介ページ



いちおう、日本語なら人並み
今回は、この本『あえて英語公用語論』をとり上げます。
最初に、私と英語の今日までのかかわり合いを少し述べてみたいと思います。
わたしMayaは、今まで随分と「英語」では、苦労してまいりました。
過去形ではなく、現に今もその苦労は続いています。
もうほんとに、いろんなシーンで、困ったり、恥をかいたり、
苦笑されたり、あきれられたりしました。
それで、しまいには、本当に英語を嫌いになってしまいました。
高校時代は、英語の時間というだけで、肩がこりました。
それで、わざわざ苦労して嫌なもの勉強したくないというので、国文科に行ったりしました。
その方が、楽ですから。いちおう、日本語なら人並みですしね。

にもかかわらず、
なぜか英語が出来ないと困るような「ところ」や「場面」にばかり遭遇させられてきました。
あるときは、アメリカ人よりも日本人の方が少ない会社で、働いたりしたこともあります。
東京でのお話です。そこで働いていた日本人たちは、そろって英語が人並み以上でした。
ま、当たり前です。日本語を話さないアメリカ人が雇い主でしたから。
日本語の言語能力だけでもって、働いていたのは私くらいだったわけです。

わたし、英語は全て人任せで行くわ
ま、これとて考えようによっては、恵まれていたとも言えます。
私を除けば、英語で不自由している人は、ほぼ皆無なわけですから、
通訳・翻訳の人材にはこと欠きません。
そのとき、たまたま一番近くにいる人にお願いするわけです。
今にして思えば、皆さんほんとに気持よく助けて下さいました。こんなこともありました。
私が20代前半だったころのお話です。その日は、人手が足りないほど多忙でした。
ホテル大倉に滞在中のアメリカ人夫妻を迎えに行って、
彼らをイベンツ会場まで案内するように……「それをあなたにお願い」……というわけです。
お仕事ですから、問答無用。
それでどうしたかというと、
彼らの部屋に電話して、ロビーまで降りてきてもらうその内容を英語でメモしてもらいました。

電話してメモを便りにまでは……いいとして、先方が英語で話し始めたらアウト! どうしよう? 
それで、まずホテルのフロントにいき、図々しくもそこの電話を使わせてもらいました。
案の定、先方は英語で話し始めました。
私はさっと受話器をフロントに渡して、
「すみませんが、この人……なんて話してますか?」と……とっさに通訳になってもらいました。
お陰で、ちゃんと会場まで案内できました。それでも、英語を!とは思いつきませんでした。


「マイ・フェア・レディ」って解かるなぁ
また或るとき、
私の発音の悪さに辟易?した、アメリカ大使館を辞めて移ってきたアメリカ人の上司が、
きちんとした英語を話すようにという親心?から、
経費は会社もしくは上司負担?で英語の先生をつけてくださいました。
その時は、だいぶん社員も増えていましたが、英語が必要なことには変わりありません。
わたしを入れて4人が生徒でした。
週2回午前8時から9時までの1時間をオフィスで、英会話のレッスンです。
上司が英語教師として選んだのは、ハワイ大学で講師をしていたという方で、
「彼は日本人だけど、英語の発音はアメリカ人と変わらない」という説明でした。

それで、英語が上達したかって? いやぁ、疑問ですねぇ。
なにしろ、そこの会社は、というか、外資系の常識というか、
のんびりお仕事なんて雰囲気は無くて、
一人一人が請負の仕事をしていると言ったほうがわかり易いでしょう。
ですから、結構厳しいわけです。
私の場合は、毎日残業……午後10時まわってからタクシーで帰宅というリズムでしたから、
朝1時間も早く会社に来て「授業」というのは、正直言ってあまり嬉しくはありませんでした。
一度なんかは、生徒4人が全員遅刻して、時間どおりだったのは、先生だけなんてことも。
そのうち、先生と雑談を交わすうちに、彼の凄い弱点を握ってしまいました。
ネズミに関して、嫌な体験があったらしく
「ネズミ」という言葉を出すだけで、さーっと顔が青ざめてしまうのです。
以降、勉強をさぼりたくなると、この手を使ってたびたび授業を中断してしまいました……
上司は、さして効果を挙げていないのをみて、
いつのまにかこれは立ち消えになってしまいました。


個人の「アイデンティティ」を消し去り、
「創造性」を枯渇させて逝く企業という名の墓場

そんなこんなで、英語を自ら学ぼうとは、ついぞ本気では考えませんでした。
出来ないことは、できる人にお願いすれば良いではないかと、どこかでタカを括ったままでした。
1年くらいすると、会社勤めがどんなものなのかが、おぼろげに見え始めます。
成功して……どの辺りまで……代償として自分が失うものは? 
その結果、会社を辞めてしまいました。
辞めてどうしたかというと、
まず1日24時間を自分のものとして取り戻す作戦に出ました。
それまで、寝ても覚めても仕事のことが頭の中にありました。
横並びに責任を取る人は誰も居ない仕事場です。
自分の仕事は、自分の責任でこなす。単純な世界です。
まず中断していた「読書」に戻ることにしました。

驚いたのは、そんな「お勤め生活」をしていたのは僅か1〜2年くらいのものなのに、
本を読んでもサッパリ頭の中に入ってこないのです。
仕事は、バッチリ効率よくやってましたが……
「なんだ、これは?」「わたし、バカになったかな?」と、思いました。
今なら、説明できます。
脳波を偏った領域で酷使した結果でした。
ベータ波、ときどきアルファ波って感じで、
深い哲学的な思索や、瞑想の境地とはほど遠い
「ビジネス用の脳」ばかり使っていたというわけです。
最初に手にしたのは新潮社発行の『ヘンリー・ミラー全集』の中の一冊でしたが、
繰り返し読んでも全く意識に残らず、まるで頭に入りませんでした。
こんなことは初めてのことでした。
最初の1冊を読破するのに、なんとひと月以上かかりました。
仕事をしない「暇人」のひと月ですょ。
その一冊を読むうちに、脳もバランスを回復したと見えて、
それ以降はかつての私の理解力と読書スピードに戻り、現在に至っています。
このお話は、直接「英語」と関係はないのですが、やはり関係があるのです。


Hirooka-san ・・・あなたが英語を話す必要はありません。
私が日本語を話せますから……

そうして、気ままに、自由に、ときどき「アルバイト」……という暮らしをしておりましたら、
或る日曜日の午後、
渋谷の太盛堂書店のエレベーターでばったり正面から出会ってしまったのが、
アメリカ大使館経由のかつての上司でした。
彼の元で働くことを辞めて以来、しばらく経っていた頃でしょうか? 
あまりに偶然なので、駅に向かう途中のみちすがら、
渋谷駅そばの山手線高架線の下にある
「すーるぼん」という名前の喫茶店でお茶することにしました。
座るなり、彼が話し始めたのは、
「僕は、いまとても忙しくて、猫の手を借りたいぐらいですよ。
それなのに、Hirooka-san は、働いていませんね。よくありません。
僕のところで働きませんか?」というものでした。

彼もその後……勤め人生活をやめたらしく、
東京でイグゼクティブのための個人指導による英会話のスクールを開講して成功していました。
日本人ビジネスマンの英語環境を見渡して、
彼はまさに日本人が欲しがるニーズに合うものを用意し、当たっているみたいでした。
お金はある、だけど時間が無い。海外との交渉は目前……
そんな人たちのニーズに応えるプログラムだったようで、多忙を極めているようでした。
「また、働かないか」という彼の誘いに対して、
「わたし英語ができないから、ダメですよぉ〜」と、やんわりお断りの返事をすると、
「いえ、Hirooka-san ・・・あなたが英語を話す必要はありません。
私が日本語を話せますから……」と、
長沼スクールで学んだらしい丁寧な日本語で、ものしずかに彼は言いました。


英語を習いたがらない日本人に会ったのは、
あなたが始めて……

珈琲はまだカップに残っていたし、他愛の無いおしゃべりを続けていました。
「ね、そのうち……生徒の一人として英語を習いに行きますから……」と言ったら、
彼は瞳に優しさは湛えつつも、クールに醒めた眼差しを私に向けて、
半ばあきれたように言いました。
「わたしは、知っていますよ。
たとえ、あなたが今住んでいる建物の、あなたの部屋の上にわたしがオフィスを構えたとしても、
あなたは決して英語を習いに来ないのを知っていますよ」。
これには、少々驚きました。
昔の、わたしの上司は知っていたのでした。かつての部下、この私の英語嫌いを。

彼にしてみれば、自分の母国語なわけですから、
人並みの愛着を英語という言葉に対して持っているわけです。
それを、なぜかあまり好きではない日本人がいる。
それが私だったというわけです。
そして、彼はことばを更に付け加えました。
「日本の人たちは、みんな英語を習いたいと思っていますよ。あなたのような人は、初めてです。
みんな英語を学びたいと、すぐに飛びついて来ます。変わった人です、あなたは」。
「はぁ……」。

のちに私は、このスクールにお金を払って通っているという人に、偶然出くわした。
「わたし、そのうち習いに行くって言ったんだけど」って言ったら、
そのひと突然わたしをシゲシゲとみて、ちょっと呆れ顔で一言。
「君ぃ、そこ高いんだよ!」。
なるほど、そのときの私の……ときどきアルバイトという生活だと、
まず半年分の生活費に匹敵した価格でした。
そのときまで、知らなかったけど……☆


「夢」を通じて、
誰かが私に英語の勉強を迫ってきました

勤め人暮らしも辞め、フリーター時代にも終止符を打ち、
「もう、英語ともおさらばじゃ」とばかりに安心して、主婦業ならびに子育て、
そして合間には現在と似たような感じで、日々のお仕事をしておりました。
10数年前にみた夢です。
「いったい、お前は、ずーっと学校に行ってないが、英語の授業に出る気はあるのかどうか? 
もう既に、授業の大半は終わってしまっているが、今からでもきちんと出席するというなら、
年間授業料の40万円を払ってあげても良いが、どうする積りか?」というものでした。

記憶に残る夢でした。40万なんて金額、いったいどこから出て来たんだろう? 
その当時の私の金銭感覚からすれば、決して安くはない金額でした。
なぜなら、英語1科目だけの授業料、しかも残る授業日数は3分の1くらい。
しかも、こんな忙しさの中では学校に行くなんて、とても出来そーも無い。
それに、「通うべき学校」と「習うべき科目」があるなぞということは、ゆめゆめ知りませんでした。
そんなこととは露知らず、日々の暮らしに追われていました。
誰がいったいこの私に「英語学習」をと促しているのか?
夢の雰囲気には、すっかり忘れていたことを思い出したときの「ヒヤッ」とした感じがありました。
それでも私は、やはり日々の暮らしに追われ、月日は過ぎて行きました。


人は、自ら蒔くことをしなかった種の収穫を
得ることは出来ない

気づいてみれば、今こうして海外とのやり取りの中でビジネスしたり、
それらを通じて相互理解を深めていくというコミュニケーションになってきています。
ひとは、自ら蒔くことをしなかった種の収穫を得ることは出来ません。
こういう経緯で、私は現在も「英語」では、不自由な思いをしています。
そんなとき、今年の春頃テレビを見ていたら
「英語を公用語に」というニュースが流れて来ました。
「あ、それ、いいんじゃない!!!」と思っていたのですが、
そのうちニュースとしては流れなくなりました。
先月、ネットサーフィン中に、この『あえて英語公用語論』の書評にでくわしたのです。
9月11日に近所の書店で買い求めました。
読んでみると、これが予想を遥かに超えた日本人「必読の書」だということが良くわかりました。
そのうえ、私の英語に対する過去の印象を全て払拭してくれたのです。

これは、文句なしの「オススメ本」です。
「英語」について語っているように見えて……それでいて……
今の<地球状況>が丸ごとみえてくる……
<エキサイティング>な内容が、したたかな説得力をもって迫ってきます。
同時に、長年の私の疑問にしっかりとした解答を与えてくれました。
英語は今や、地球規模で「コミユニケーシヨンの道具」となっている現実を、
見事なまでに解き明かしてくれています。
そして、政界、財界などすべてを含めて、日本全体に蔓延している「英語力」の不足が、
日本を危機的状況に追い込んできた事実、現在もその状況にはかわりがないこと、
それに対して国家も政府も全く無策のまま今日に至っているということ。
この問題の解決なしに「21世紀の日本」はありえないのではないかなど、
真剣に問いかけられています。


小・中・高・大学の副読本に指定してもらいたい気分
とにかく、一度手にとって一読されることをオススメします。
わたしは、本書によって「英語」に対する認識を全く新たにすることが出来ました。
ひとは、物事を深く認識することができれば、下手な努力をしなくても、
自然にそちらに意識が向かうようになります。
一人一人の認識が高まればよいわけですから、
小・中・高・大学の副読本にぜひ指定してもらいたい気分です。
若者たちが、本書に述べられている世界事情を知るだけで、日本の状況は一変するはずです。
未来の日本にも、希望がもてるようになるかも知れません。
これからの時代、先立つものは「英語」だと、著者は断言しています。
おしまいに、この本を世に問うてくださった著者に「いい本ありがとう」と言いたいと思います。
お陰で、私はいま新しい気持で、英語というツールにアプローチ出来るようになりました。

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本書の内容を紹介する代わりに、表紙の扉に記されている紹介文を、
ここに引用したいと思います。

〔 あえて英語公用語論 〕
英語の専門家でもない私が、英語の本を書くことにしたのにはそれなりの訳があります。それは、英語を単に英語教育や英語行政の問題としてのみ捉えてはならない。それを、日本の世界との関係、少し大げさに言えば、日本の戦略の問題として考える必要がある、と思ったからです。しかし、その議論はまだまだ不十分です。なぜなら、英語論、英語公用語論は、なぜ提起されなければならないのか、またそれはどのような現状認識に基づき、どのような問題意識を踏まえたものなのか、を明確にしないまま議論が先行しているからだと思います。この本は、そうした議論の一助にしたいと考え、書いたものです。(著者より)

著者プロフィール:船橋洋一
朝日新聞コラムニスト。「日本@世界」「船橋洋一の世界ブリーフィング」を連載。朝日新聞北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長を歴任。この間、ハーバード大学ニーメンフェロー、米国際経済研究所客員研究員。著書に『内部』『通貨烈烈』『アジア太平洋フュージョン』『同盟漂流』他。1944年、北京生まれ。東京大学卒。


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