HOME>>コラム・書評・インタビュー>>書評一覧>>2000/05/23


出版洪水に釣り糸を垂れる
Book-Review


by Maya−Kimie Hirooka
Maya Art Collection



 『老女の聖なる贈りもの』
  "WINONA'S WEB"


  プリシラ・コーガン 著
  ハーディング・祥子 訳
  めるくまーる刊
  amazon.co.jp紹介ページ



●まず、この本に出会ったいきさつから。
去る3月27日、近くの本屋さんに出かけました。
目的の本は、『nakata.net ナカタドットネット』。
意外でしょ。
サッカーのルールも良く知らないスポーツ音痴なのに………。


●ところが、昨99年8月14日に、ちょっと変わった夢を見ました。
私は夢の中で超豪華ホテルにいます。
何かの招待のようです。
招待されているのは、30〜40代の女性だけです。

午後になって、すでに主なスケジュールは終了しており、
ホテルを後にすることも出来るのですが、
その前に、
手にしている整理券で、やたら豪華なお土産がもらえるらしいのです。
なぜか、
そのお土産を受け取ってから帰ろうと思いました。

私の番号は「51番」。
順番がくるまで、
ロビーわきのU字型カウンターに、腰掛けて待つことにしました。
順番を待つ女性たちと、満員電車のようにツメツメに座りました。

座って、それから、ふっと目をあげると、
正面に中田英寿が座っています。
彼は、何かを、カウンター越しに、よこそうとしています。
直感的に「あっこれ、Eメールアドレスだ」と、わかりました。
彼はまるで、存在の気配を消したかのように
誰にも気づかれませんでした。

以上が夢の概要です。



●とにかく「夢」は、私に何かを教えたいようです。
年も明けて、
中田のEメールの本が出版されたと知った私は、
「きっとこの本だわ。じゃ、買いに行こう」と、
こんなノリです。

むかし、ジミー・ヘンドリクスを知ったのも
夢を通じてだったしね………。

●というわけで、
そのとき書店に足を運んだおかげで
出会うことが出来た1冊が、この『老女の聖なる贈りもの』です。
その上、原書のタイトルが「WINONA'S WEB」ナンテね。
夢もなかなか手がこんでます。
確かに、夢の中で招待されていたのは女性だけでした。

この本は、
「2ヵ月後に自分は死ぬ」と宣言したインディアンの老女ウィノナが、
主人公のメギー・オコナーという白人女性を通して
後に続く、私たちすべての女性に遺した
「聖なる贈りもの」の物語です。

夢を見た日から7ヵ月後、
近くの本屋さんで豪華なギフトを発見し、
私はそれを、受けとったというわけです。


●つぎに、夢の中で私が持っていた整理番号「51番」の意味です。
「51」というのは、過半数を越えた最初の数字です。

私がこのギフトを手にした時点で、
すでに過半数の女性たちが、
夫との深い愛に生きたメディスン・ウーマンの老女
ウィノナが語るスー族の死生観や、
男女のスピリチュアルな関係など、
「生と死と愛についての深い洞察の旅」に、
その第一歩を踏み出しつつあることを暗示しています。

過半数というのは、
変化を決定づける臨界点として十分にパワフルです。
この夢は、「時代」がここまで゜きていることも示唆しています。

さて、『ナカタドットネット』の方は、読んだら後日ということにして
もう2度も読んでしまった、本書『老女の聖なる贈りもの』の紹介です。


●著者のプリシラ・コーガンは、1947年生まれのアイルランド系米国人。
1978年臨床心理学の博士号を取得。
その頃からネイティブ・アメリカンの儀式にまつわる強烈な夢を見始める。
メンタル・ヘルス機関の臨床部長を10年勤めた。
その職場でスー族のメディスンに精通している
チェロキー・インディアンの心理学者・ダンカン博士と1981年に結婚。
夫を通じて、アメリカ先住民の哲学やヒーリングを学び、セラピーに実践。


●本書の前書きで、著者プリシラ・コーガンは次のように述べています。

ネイティブ・アメリカンの儀式の中で、
私が経験した説明しがたい現象の数々は、
それまで私が慣れ親しんできた、
安全で科学的な世界観に疑問を投げかけました。

ですから、現在の私が持っているスピリチュアルな世界観は、
単にメディスン・マンの教えを頭から信じ込んだり、
盲目的に受け容れたりした結果ではなく、
むしろ私が身をもって体験したことに基づいています。

もし、この小説に少しでも説得力があるとすれば、
それはこのことによるのではないかと思います。


●文字通り最初から最後まで、読むものの心を捉えて放さない力作。
本書をなめるように読んだ10日間にわたって、
まるで私自身が老女ウィノナに出会い、
教えを受けたような感動に襲われました。

その中でも、最も心を揺さぶられたのが、
ギヴ・アウェイについて語っている個所でした。

それは、
この本の中で、繰りかえし、何度も別の言葉で、語られています。

わたしも(Maya)、
何だか今回は、よく分かってきたような気がしています。
そうしたら、
もう10数年も前に見た、不思議な夢を思い出してしまいました。

遥か遠い、山や峰の奥深くへと、ひとり巡礼の旅に出かけました。
そこである存在に出遭うのですが、向こうから握手を求めてきました。
握手した瞬間に、
「この存在」は仏陀だ……と確信するのです。
仏陀その人、または仏陀意識そのものに直に触れたような気がしました。
そのときのフィーリングは、今も鮮烈です。

このときに受けた印象が、ウィノナの説くギヴ・アウェイそのもの。
彼(仏陀)の意識の中には、自尊心とか、自意識のかけらも無かったのです。
これは、ほんとうに強烈な体験で、その瞬間、
「もう仏典は私には要らない」という考えが、閃いたほどです。

いま私の中では、
ネイティブ・アメリカンの説く道と、
仏陀の説いた道が、同じ道だったということに、
気持ちの良い「オチ」を感じています。


●おしまいに、メギーの言葉を引用して、締めくくりにしましょう。

この賢い老女が私に残していってくれたのは、
けっして単なる贈りものなどではない。
それは死という境界さえも越えた道であり、旅であった。

ウィノナは私に決意を促すつもりなのだ。

この20世紀の幻想の中でぬくぬくしつづけるのか、
それとも
大地はグランド・マザーであり、
私たちは彼女の子供であるという古い教えに従うのか。

目に見える現実に加えて、スピリットや私たちにつながる
すべてのものとともに生きるつもりがあるのかと。


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