今日はトリップの1日でまるで長時間温泉に浸かってのぼせたかのような心地です。うひゃひゃひゃ。
いや、ここんとこその傾向はずっとあるんだけど顕著に、如実に出たな、今日は。
所用で神社に参拝し、奉納芸能を堪能。
単純で子供じみた言い方をすれば、神様は喜んでくださっただろうという実感があったなぁ、そういう感覚はなぁんとなくクるんだな。
そしてずーっと欲しくて売り切れだった服が偶然別の店で手に入ったり、何件も本屋を回ったのに見つからずアマゾンには頼りたくなかった本を見つけたり、何ヶ月も前から行きたくてずっとチェックしてたお店でゴハンを食べられたりとポンポンポンと願望成就が続き。
締めにマイミクやあまんさんのヒーリングサロン、スタイル21に相方とお邪魔してきた。
そのスゴい話がメインだ。
やあまんさんとご縁があってから数ヶ月、サロンが自宅ともっすごい近所にあることがわかってずーっとやあまんさんから一度来てみて〜とお誘いを受けていたのだが相方とタイミングが合わなかったりミョーに仕事が忙しかったりでなかなか行けずに年が明けてしまい、今日見事なタイミングでお邪魔することができました。
http://www.style21.co.jp/
↑やあまんさんのスタイル21HPです。チェキラー。
今日相方と体験させていただいたのはこちらのヴァイブラサウンドセッション。
コレがマジでスゴい。
今までいろんなスゴいを経験したつもりだったがまだまだ甘かった、どんくらいスゴいかというとダバダ王の相方(ダビデ王みたいに言うな)が実感して唖然とするくらいクる(笑)
ものすごく簡単に説明するとそれはアロマの効いた酸素をいただきながらウォーターベッドに横になり、ヘッドホンで音楽を聴きながらリズムによって変調する光が発せられるアイマスクをかけ、音楽に合わせた振動をベッドから全身に受ける、というもの。
どういう変化を得られるのかと言えば。
トリップさ、ハニー。(誰だオレ)
ちょっと長い話になるんで別にこっから下は読まなくてもええです。
気になった人はもう速攻で上記HPからスタイル21へゴー(笑)
私はこの世の違和感と戦う人生を歩んでいる自覚が非常に強い。
2,3歳の頃の記憶で非常にキツいのが幽体離脱の記憶です。
そんなに特別な感情を持っているわけではないので大して話題にもしないけれども、幼い頃は深夜の幽体離脱は日常茶飯事でした。
キッカケはいつも同じです。
今じゃその面影もありませんが、生まれつき重度の喘息持ちだった私は発作のたびにいらだつ母親から折檻まがいの扱いを受け、救急車で病院に行かない夜は毎夜たんすにもたれて朦朧とする意識をもてあましていたものだ。
極度に細い呼吸は激しい咳と吐き気を催し、洗面所に行ってノドの奥のものを全部吐き出してしまいたかったのに発作が強すぎて立ち上がれもしない。
しかし、口の中に痰が溜まってくるとますます呼吸ができなくなる、洗面所が遠いならそれより近い台所の流しでもいい、吐きたい。
そのうち、私はいつも洗面所や流しの前にいつの間にか立っているのです。
あれは明らかに夢ではない感覚です。
体を伴わない目覚めた意識だ。
洗面所の前にいるのに、苦しいのに、結局も何もできずに自分の体のある場所へ戻るのです。
そんな経験が普通過ぎたために物心つく頃にはやたらと死や生きること以外の意識の手段を常に考えるような奇妙な子供時代でした。
ネガティブとはちょっと違う、「生きる」の定義が当たり前でなかったことで存在や意識の特異性や可能性に興味が強かったというカンジです。
幼い頃は鏡を見るたびに自分に向かって「アンタは誰?」とよく聞いていました。
鏡を見ている自分より鏡の中の自分の方が安定感があり、確固たる存在の重さを持っているように思えたのです。
自分の体の弱さが幼い私に常に「意識とは何か問い続けろ」と強いているようでした。
まるで引き算でもするかのようなシンプルさで私はよく自分から体を引いて残るものを想定していました。
しかし、残った何かはどうにもココにある。
体が死を迎えればココではないどこかに意識はいくはずだ、しかし、体を持ったままココではないどこかへいつか行けるのではないか?
小学生の頃によく考えていた途方のない疑問に最近になってようやく近づけそうな気がするのです。
最近このテーマに関するヒントが立て続けに降ってくる。
10年くらい前にも自分に課した修行まがいの習慣がありました。
大祓祝詞という比較的基本の祝詞を2時間くらいかけて100回くらい暗唱するのです。(今はできなくなったが慣れると空で言えちゃうもんさ。ちなみに般若心境と他にも数種類の祝詞、真言は今もソラで言うぞ、コレ自慢な、あはははははは)
1年近く、毎日やりました。
コレをやる時、多少不謹慎ですが大祓祝詞はただのキーで、いかにその中で意識の平静を保ち続けるかに挑んでいました。(般若心経でもよかったのですが祝詞はその性質上わざとなめらかではない言葉を使っているので都合がよかった、加えて般若心経は目的なくそらんじるには危険なお経なのでコレには使いませんでした)
周囲で何が起ころうが誰が話しかけようが地震が襲おうがそこに座って祝詞を100回ただ上げる、と決めるわけです。
その際、いつも真っ白な立方体の窓のない箱の中にいるイマジネーションをわざと課しました。
そのうち、ゲシュタルト崩壊に似た違和感が脳裏に虫のようにわいてきます。(ゲシュタルト崩壊をご存知なければレッツ検索、すぐ出ます。誰でも経験あるはずなり)
何でわざわざこんなことやってるんだ?とキツい疑問が自分の奥からも噴出してくるのですが、そのうち全てが去って思考が止まり、祝詞だけが白い空間に響き始めるわけです。
ランナーズハイに近い状態だったと思います。
幼い頃の記憶や大祓祝詞の習慣で、サブテーマだったことが指を鳴らす程度のキッカケで向こう側へ行くこと、だったわけです。
なんでこんなことをテーマに生きてるのか、コレがタイトルに絡んでくるんだけれども、肉体の死イコール意識のシフトと捉えた時にそれはどうしようもなく気持ちいいものだ、という非常に強い確信があって。
4,5歳のガキが「死んだら気持ちいいんだろうなぁ〜」と考えてることは恐ろしくキモいんだけれどもソレは置いといて(笑)
最近ソレが変性意識と関係していることを強く意識しはじめたんですが、ココで生かされる、もしくはココを選んでくることの意味の確実な一つに相対的に別の意識の自分を自覚することで自分とは何者なのか、ひとつの確かな答えが得られるはずなんですな、その永遠の旅の途中なわけです。
何のヒントも得られずに死ぬ人生も何百回とあっただろうし、ヒントだけをこねくりまわして見当違いな答えに満足する人生(いや、動物とか石ころもアリさ)もあっただろう。
別に今回だってむしろ見当違いで終わってもいいんだ。
それは螺旋の向こうにいつか辿りついた時に「ああ!!」とクるもので、2008年日本にいるつもりである限り暫定回答で全然構わない。
しかし、神のプログラムのパーツを埋めることが仕事なわけだ。
結果論だけどもね。
神の成分としての私、そういう意味でどんだけ上空から俯瞰の視線で客観的に自分を定義づけできるかはいつも私の中に渦巻く楽しくも面倒臭いテーマであり(笑)
意識のシフト時に(別にアセンションに限らないよ)必ずとんでもない報酬があるはずだ、という生まれつき持ってきたヒントをいろいろ実験させられているカンジですよ。
そこで、例えば、先日の目白セミナーのワークだったドラムサークル。
何十人もの参加者が思い思いの打楽器でリズムの渦を作る、そのうち場がトランスしてくる、場ごとテレポーテーションするような錯覚に陥る、これも十分な実験なわけです、意識の定義づけに必要な。
事務局長さんがテーマになさっている伝統芸能も私が悶々と考えるコレに近いだろう。
あちら側との交流の実践とキッカケ、それによって次の何かを生み出す、答えを押し付けない彼の静かなる課題です。
とても長い話になりましたが、ココで今日体験したヴァイブラサウンドセッションに戻ると。
もう私の感想を一言で言えば「コレは死のエクスタシー体験お手軽セッションだ!!!」ですよ(笑)
もう自分北島康介かっつーくらい「チョー気持ちいい〜〜〜♪」ですよ(笑)
セッション中に流される音楽や光はやあまんさんの長年の勘によるある意味即興なのでそこで何が来るのかは予想できません。
セッション序盤はなにやら横になる自分はいろいろ綿埃のように意識がうるさいのです。
ウォーターベッドっていいなぁ〜とか晩御飯何にしよ〜とか次は別の曲聴きたぁ〜いとか明日仕事メンドくせ〜とかそりゃもう勝手にうるさいのよね(笑)
それが落とし穴にでも落とされるように突如思考が停止する瞬間があるんですね。
そして、眠っていない自覚もある。
意図的でない意識の薄皮一枚の裏へ突如落とされるようなカンジです。
いや、これは誰でも毎回そういう風には感じないだろう。
偶然今日の私に感じられたのがまさに「死のエクスタシー」ですよ。
こう書くと恐ろしくマイナスな雰囲気を纏った言葉に聞こえるでしょうが、違うんだなぁ〜〜〜〜圧倒的な光を放つ十字架へ体力を使わずに吸い込まれるような激しくも穏やかで恍惚とした感覚です。
ああああああああああああああああああああ。
もう自分、こっちで暮らす、それでいいやぁ〜・・・・・
ととんでもないことを感じているとセッション終了ですよ。
たった20分でこのザマですよ、「オイオイ、邪魔するなよー野暮だなー」とクライアントの意識を戻すやあまんさんを軽く恨むくらいですよ(爆笑)
コレが何の感覚と近いのか、疑似体験なのか、それはぜひセッションを受けられた上でやあまんさんの口から聞いてください。
ただ私のこの感想も開発者の意図に非常に近いところを突いている確信があります(笑)
いつもはダバダ〜♪と何も感じないことをむしろ売りにしているうちの相方ですがかなり強制的にあちらへ飛んできたようです(笑)
でも「温泉に浸かったみたい〜♪」とノンキな感想を述べておりました、さすが最近地球に飛来した宇宙人ですね、ボキャブラリーが貧困です(爆)
ちなみにレイラインとは日本のパワースポットを繋ごうとする事務局長さんの意図が込められた音楽のタイトルです。
彼の音楽もまた、深い変性意識との関係を感じさせる何かが練りこんであるものなのです。
(Sさんmixi日記より)