HOME>>その他のコーナー>>通信『スタイル21』4号(00.02.05)



あけましておめでとう

年があけて、振りかえってみれば、
昨年は、「インターネット元年」だったようです。
MM8も約束どおり、ホームページをアップしました。
ほんとに年末はアップアップしながら、
遂にHPを開設しました。

●株式市場のラスベガス化と人は言うけれど、USA株式の好況が、仮にしばらく続いたとしたら、これはラスベガスをはるかに凌ぐかもしれない。
●最近は、ほんとに前例の無いことばかりなんだから。
●聞いた話によると、インターネット用株式ソフトの中には、金額表示のケタが足りず、1億円表示ができないで困っている所もあるとか。
●さすがに株価1億円は、プログラムした時点では、きっと予想を越えていたのネ。
Maya-Kimie Hirooka



はじめに:
さて、こんな2000年の幕開けに、比較的最近になって、MM8に出会ったという方々のために、時代の潮流をからめながら、当社の今日までの「道のり」を概観してみたいと思います。

MM8とブレインマシンとの出会い
1980年設立の「まいんどまいんど八王子」という活動母体を前身に、株式会社エムエムエイトは、1988年3月19日に設立されました。メンバーの皆んなが略称で呼んでいた名前「エムエムエイト」が正式名称になった訳です。これは、日本の東京近郊、八王子市でのお話です。

一方その頃、まるでMM8の設立を待っていたかのように、その年の暮れに、アメリカで新たにスタートした会社が2つありました。それが後に(1989年)、我われMM8が出会うこととなった、ヴァイブラサウンド開発者ダン・エステス氏の「インナーセンス社」と、ボイジャー開発者ロバート・オースティン氏の「シネティック・システムズ社」でした。

ウェストコーストへ行け
彼らは共に、30歳代の若さで、会社を設立しました。ダン・エステスは当時すでに「ヴァイブラサウンド」の原型となるマインドマシンを自分用に研究・製作し、完成させていました。アトランタでのお話です。本業のビジネスは別に持っていたので、大好きな趣味として一人楽しんでいたというわけです。

そこにある日、メッセージが来ました。内容は「これを製品として完成させ、ウェストコーストへ行け」というものでした。「広く世界を旅し、これを人々のために役立てなさい」というわけデス。この辺の詳細については、当時のインタビュー記事をいずれHPにアップする予定なので、ここではサワリだけを述べます。

はじめのうちは、無視していましたが、メッセージについに抗し切れなくなった彼は、ある日会社を共同経営者だった友だちにあげてしまいました。言われたとおりに、車にヴァイブラサウンドを積みこんで、アトランタをあとに、一路西へと旅立ちました。これが、「ヴァイブラサウンド」を研究・開発・製造・販売するインナーセンス社の始まりのお話です。

一方、シアトルでは……
一方、シアトルでボヘミアンを決めこんでいたミュージシャンのロバート・オースティンは、ワシントン州立大学で講師を務めたりしながら、これまた大好きな趣味に没頭していました。友人から注文を受けるようになった彼は、ついに庭のガレージに会社を設立したのです。その最初の製品が、ボイジャーのルーツ、「マインズアイ・プラス(プロ仕様)」でした。このあたりのお話も、当時のインタビュー記事を、いずれHPにアップの予定です。

USA60年代の価値観とコンピュータ・テクノロジーの融合
とにかく、二人が開発したのは、共にコンピュータ・テクノロジーを、従来とは全く異なった方向に応用・発展させた、まさに画期的なツール、マインドマシンでした。このジャンルでは、ウェストコーストで二人とも、最先端をいっていました。

コンピュータの出現は当初、武器の近代化や、銀行業務の効率化、タイムレコーダーによる人事管理など、あまり面白くないことに使われていました。どうも、コンピュータが蔓延するイメージに、人々は抵抗感があったようです。

ところが、少年時代からコンピュータに親しむアメリカの若い世代が育つにつれ、「LOVE&PEACE」が合言葉の60年代の価値観が、このコンピュータの技術革新の流れに合流することになったのです。

ロバートの方がウォークマン・スタイルのパーソナル・ユースを主流にしているのに対し、ダン・エステスの方は本格的かつ究極のメガマシンという違いはあるものの、彼らが世に送り出した製品は共に、アメリカならではのエキサイティングな発明でした。

これらのマシンに出会った私たちは、「よくぞ作ってくれました!ありがとう」というのが正直な思いでした。人とマシンのMeetです。

ハリウッドスターをとりこにしたヴァイブラサウンド
遂に日本上陸!

とにかくダン・エステスの「ヴァイブラサウンド・セッション」を体験したL.A.の人たちは、その凄さに驚いてしまいました。即ユーザーになった人たちには、ハリウッドの大物スターのS.MやE.T、ロックグループのフリートウッドマックのメンバーの一人などがいます。

ウェストコーストまでたどり着いた彼は、翌年日本にやってきて、MM8と出会いました。その年には、ヴァイブラサウンド・サロンの第1号店「ロダンセ」もオープンしました。というわけで、1989年の夏以来、MM8は「ヴァイブラサウンド」の輸入元として現在に至っています。同時に、シネティック社とも独占契約のもとに、「マインズアイ・プラス」の販売をスタートしました。こちらの方は数年後、輸入元としての業務を他社に移行し、現在に至っています。

ブレインマシンは、これからが出番
このようなわけで、MM8は、いろんな製品の中で、このマインドマシンには、特別の愛着があるのです。また、一番大きな夢を託してもいます。それは、このツールが私たち現代人に、大いに寄与する可能性を秘めて登場したグッズの一つだからです。

先ごろ政府に提出された「21世紀の日本のための提言」は、眠ったままになっている個人の能力に焦点を当てて、行われたということです。ブレインマシンは、まさにこれらの目的のために本当に役立つ、「これからが出番」というツールなのです。

MM8の初夢的・楽天的ヴィジョン
「これからが出番」とは言っても、このツール、百言を労するよりも、「Ride On The Vibrasound!」と、まずはセッションを体験していただくのが一番。



さあ、ここからがMM8の初夢的・楽天的ヴィジョンの展開です。
ショップの名前はもう決まっています。「スペースポート21」。

都心の一角に、「スペースポート21」がオープンできた暁には、
「ヴァイブラサウンド」を最高のセッティングで、
心をこめてみんなに体験してもらいたい(もちろん有料だけどね)。
体験さえしてもらえれば、
ハリウッドの大物女優S.MやE.Tが即刻求めた訳が
あなたにも分かっていただけるでしょう。
問題は、家に置けるかどうかのスペースだけ、
という心境になっている自分を発見するはずです。

そこには、時差ぼけ解消のために、
成田国際空港から直行するビジネスマンや、バックパッカーたち。
もちろん「スペースポート21」には、彼らのためにインターネット・カフェだってある。
長距離トラックのドライバーたちは、たった30分のセッションで、
たっぷり眠ったようなすがすがしい表情でスペースポートを後にしてゆく。
日没が訪れると、アフター5の女性やベンチャービジネスの戦士たちが、
セッションの予約時刻に合わせてやってくる。
彼らはまず、ミネラルウォーター・バーで喉を潤す。

週末だけオープンの終夜営業には、クラブに繰り出す前の若者たちが、
好きなCDを持ちこんで、ヴァイブラサウンド・セッションを楽しんでいる。
まず心と身体をくつろがせているのだ。
ミュージシャンのビリー・アイドルが、
自らヴァイブラサウンドの曲を作曲・CD化し、世界発売までしちゃたように、
「ヴァイブラサウンド」にハマッたミュージシャンたちは常連だ。

気づけば、TOKYOの名所になっていた……というのが、
目を開けたままでみたMM8の初夢的・楽天的ヴィジョンの一部です。



コンピュータが心を持った
20年前に、「手紙の電送が始まる」というメッセージを受けたことがあります。それは、数年後にFAXの出現という形で実現しました。もうひとつメッセージに、「2000年ごろ、人類の脳が一大シンフォニーを奏でる」というのもありました。

とうとう、その「2000年」が来たわけです。最近のインターネットの爆発、またHPや電子メールによるコミュニケーションの様子をみるにつけ、「あ、このこと?!」。それにしても、この一大変化の片棒をかつぐのが、コンピュータ・テクノロジーだったとは……当時、予想もしないことでした。

今、コンピュータはあらゆるジャンルで活用されていますが、その中で「二つの流れ」が、時代潮流を加速する働きをしているのを、私たちMM8は感じています。その一つの流れが「インターネット文化」、それに続くもう一つの流れが、これら「ブレインマシンの一般化」ではないかと予想しています。

かつて、管理社会を助長したコンピュータ技術が、いま人類のステップアップを助けるツールにまで成長したのです。ブレインマシンは、あなたとの出会いを待っています。

では、これからもよろしく。

旧暦お正月の元旦
2000年2月5日

株式会社エムエムエイト
代表取締役 山田 剛
顧 問 廣岡紀三榮


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